Linkedinのグループ「Nihongo de リンクトイン!」で、新年のあいさつ代わりに「2011年はどのような年になりそうですか? その予測に基づいて、あなたはどんな年にしたいですか?」という質問をした。質問をしつつ、レスポンスは期待できないだろうなあと思った。未来予測は難しい。普段から対象物を観察していなければならないし、それを短い言葉で説明できなければならない。予想していたのは「宣伝」が増えるのではないかということだった。しかし、実際に起こったことは「Like This」を3つ得ただけ。つまりみんな質問は読んでいる。そして、参加したいとは考えているわけだ。しかしながら、彼らは「自分なりの考え」を表明することはできない。ちょっと「やばい」のではと思った。 考えてみれば不思議な話だ。最近の就職活動ではみんなエントリーシートを書かされる。ここでは、自分の考えを述べるように言われる。しかし聞く側の企業人は自分の考えを持っていない。持っているかもしれないが、少なくとも公式の場では表明できない。「入学試験の時には勉強するが、大学に入ってからは勉強しない」のと基本的には同じ構図だ。しかし応募者の意見を聞く側の企業は自分の意見が表明できない。ということは、相手の意見も聞くことができないということで、だれかの公式見解を鵜呑みにしている可能性が非常に高い。 ということで、学生たちは「自分の意見を言え」といわれ「自分で考えたように」「ヒトの意見を言う」といういささか複雑な訓練を積まされることになる。かなり無駄な作業だ。考えてみれば巷には悲観論が漂っている。加えて学生は生まれて来てから一度も繁栄した日本を見た事がない。つまり他人の意見を参考にして自分の意見を組み上げるということは、すなわち悲観論を引き継ぐということだ。ということで、失われた20年が失われた30年になるのはもはや規定路線と言ってもよい。 Twitterネットワークの「実名化」で見たように、実名ネットワークには実名の人が集ってくる。匿名の人たちは匿名で固まる。Twitterは全体を見渡せない構図ができている。故に「全体がどういう指向性を持っているか」ということはあまり関係がない。つまりネットワーク化された世界は、統計が役に立たない世界なのだ。Twitterは表に出る情報が少ない。アイコンと名前だけといってもよい。つまり、名前の出し方によってメッセージの内容が判断されている可能性が高い。 同じ事を当てはめると、自分なりの意見を持って社会に影響を与えることができる人の回りには、同じような人たちが集ってくることになる。ネットニュースを見て、それに反応しているだけの人の所にはそれなりの人が集ってくるということになる。ゆくゆくはこれが「お金の流れ」に影響するだろうということが予想される。 冒頭で述べた「宣伝型」が日本には多かった。これは相手が何を聞いているかについて関心を寄せず、質問のキーワードだけを頼りに自分がやっていることを宣伝する人たちだ。ここで宣伝が悪いというつもりはない。宣伝しなければ何をやろうとしているのかを表明する機会はない。宣伝がまずい理由を考えるためには、未来予測のあるべきプロセスを先に考えなければならない。
- まず「世の中はこうなっている」という情報を集める:→ 分析
- 自分の持っている理想に照らし合わせて、現実との間のギャップについて考える:→ ビジョン
- ギャップを埋めるための行動を想起する:→ 戦略
- これらの情報を元に「こうなるであろう」ということを発表する → プレゼンテーション
参加型の人たちは普段から考察している専門分野がなく自分の意見を表明できない人たちだ。専門分野があれば何らかの意思表明ができるはずだ。専門家にも関わらず意思表明できないということは、ほんとうはその対象物についてあまり考えていないということになる。なかなか残酷な宣告だろう。 一方「宣伝絶叫型」は、これらのプロセスを全て省略してプレゼンテーションだけしている。つまりコミュニケーション障害の一種と言ってよい。「宣伝絶叫」せざるを得ないのは、その人の権限では扱っている製品を動かせないからだ。つまり分析しても仕方がないし、自分のビジョンなんか持ってもシステムに影響を与えないのである。去年まではこうした人たちが多かった。例えばLinkedinには「クラウド・クラウド」と呪文のように唱えていた人たちがいた。宣伝絶叫型の人たちは、影響のネットワークの中では末端にいる人たちだ。ある程度社会が元気だと、宣伝だけしている人たちも生き残りができる。アイディアは社会の体温のようなものだ。宣伝絶叫型は発熱はしないが、ある程度拡散はしている。しかし社会全体の熱が冷めてくると、いくら拡散しても中の温度は下がって行くだけなのである。ほんとうに宣伝絶叫型が消えたかどうかは分からないが、消えてしまったとしたら「いくら新しいことを言っても、効果はないだろう」と諦めてしまったからだろう。 さて「自分なりの情報発信ができるようになりたい」と考えたとする。するとまた別の問題に直面する。ビジョンを持つためにはある対象物を一定期間観察しなければならない。ある程度知見が貯まったら、それを見直して自分の意見を編み上げることになる。毎日の作業が重要だ。ここで修行のように自分の嫌いなことを続けるのはかなり苦痛だろう。故に「何か自分が好きな事」を見つけるか、少なくとも毎日やっても苦にならないぐらいのことを見つけたほうがいいだろう。 戦略を作ってそれを表明しても、リソースが足りないということがあるかもしれない。これを克服するためには社会の別の力(これを協力する文化と呼ぼう)が必要だ。組織化を会社が担っている現代の日本ではなかなか難しい技術である。取り合えず、今日考えていることは協力の前段階にある「ビジョンを作る」部分に過ぎない。 企業が「自分なりの考えを持った学生」をたくさん集めようとしていることは確かなように思われる。しかし、自らに情報発信力がないが故に他人の情報を解釈することができない。逆に、所与のネットワークに情報発信力のある人たちが集れば、そのネットワークの生産物の質はよりよいものになるだろうと思われる。そうした人たちと結びつくためには、まず自分の情報発信力を鍛えることが重要だ。


